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樋妈退社,大key药丸(汉化访谈)


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[fold=汉化][align=center]0,40http://ww1.sinaimg.cn/large/d63ab74bgw1f80i5vwraaj20dw0af404.jpg[/img][/align][p=28, null, left]《New Game》的动画已经完结,这部动画虽然大多数时间的都是百合搞笑,但也涉及到了一些游戏制作行业现象,而在今天知名女性游戏原画,被誉为 Key 社之花的樋上至宣布退出 Key 社所属的 VisualArt’s 公司正式独立成为一名自由画师,在宣布退社独立的同时樋妈的专访文章也一起公开,在访谈中樋妈畅谈了自己如何从小白一步步成为 Key 社原画,又为何选择离开自己服务多年的 Key 社而独立,樋妈的经历堪称是一部现实版的 New Game。[/p][p=28, null, left]《哭泣着拼搏着——樋上至奋斗记》[/p][p=28, null, left]——首先您童年时代有没有受到什么作家的影响?[/p][p=28, null, left]樋上至:小学的时候我喜欢桂正和创作的《飞翼人》,还有楠桂的恐怖漫画也很喜欢一直在看,这样渐渐的自己的绘画就受到了一定影响。进入高中后崇拜高河弓和楠桂,模仿高河弓的画作惟妙惟肖,现在我的作品中的角色毛发还有若干地方还会残留着高河弓老师的风格。[/p][p=28, null, center]0,40http://ww3.sinaimg.cn/large/d63ab74bgw1f80i2a6he1j208z0dwq3a.jpg[/img][/p][p=28, null, left]——楠桂和高河弓都是从杂志投稿和同人活动中成为人气作者,之后在商业杂志出道的新时代的旗手,印象中在《铠传》的时代从同人到专业作者的这股潮流真正确立[/p][p=28, null, left]樋上至:当时周围的朋友都很热衷于《铠传》,画了很多铠传角色的画作[/p][p=28, null, left]——那么最初画的是哪个角色?[/p][p=28, null, left]樋上至:当时我经常画当麻和征士的图[/p][p=28, null, left]——那在这之后自己的作画功力逐渐上升有没有受到谁的直接影响?[/p][p=28, null, center]0,40http://ww1.sinaimg.cn/large/d63ab74bgw1f80i34ka2fj20b80dwwex.jpg[/img][/p][p=28, null, left]樋上至:我想也许是受到了高桥留美子老师的直接影响,高中的时候也画了《乱码 1/2》的图,也许在头身方面受到高桥留美子老师的影响比较大[/p][p=28, null, left]——想要成为职业画师的契机是什么?[/p][p=28, null, left]樋上至:原本我是想要成为漫画家的,但是自己却怎么也画不出分镜稿,而且也不擅长角色对话,因此我进入了专科学校专门学习漫画绘制课程,努力的想要画漫画,当时一位同班朋友安利了我《同级生》的游戏,那时才知道「啊,还有这样的工作」,从那开始就想要做 PC 游戏,自己想要从事 PC 游戏的工作。[/p][p=28, null, left]总之竹井正树先生的画作非常漂亮,当时电脑游戏都是点阵图,所以在游戏中居然有这么漂亮的画面对我来说是冲击性的。所以我想要走这条道路,我想画游戏原画!我找专科学校的老师想要先了解一些电脑图像的知识,但是老师说「这不是游戏科不会有游戏公司老招聘,我们不能抢了游戏科的饭碗,所以你自学吧」[/p][p=28, null, left]从专科学校毕业后为了了解电脑游戏到底是何物,我以做图像设计师为支援应聘了很多游戏公司,最后聘用我的是 TGL,在这之前我在电脑上从来没有接触过游戏以外的事物,山本和枝老师从点阵图到 CG 绘制一步一步的全部交给我,后来就能自己制作游戏图像了[/p][p=28, null, left]之后我作为图像设计师进入了 Visual Artist Office 也就是现在的 VisualArt’s,在那里先是为用点阵的方式上色,进入 NEXTON 后就马上变成了 256 色,使用的 PC 也变成了 Mac,我当时连 Mac 的电源都不知道怎么插入。[/p][p=28, null, left]——这期间没有能展现自己画作的机会吗?[/p][p=28, null, left]樋上至:在 Visual Artist Office 时我也说了想要画原画啊,当时自己创作的原画给社长看了一次,但是社长说「还差得远呢」[/p][p=28, null, left]——那么什么时候您能够创作原画了?[/p][p=28, null, left]樋上至:在跳槽到 NEXTON 时候是以原画师身份进入公司的,自己画原画自己上色,自己在离开 Visual Artist Office 后大概有段时间也在寻找能够成为原画师的地方,那段时间的记忆比较模糊了[/p][p=28, null, left]——终于成为了原画师,那么您的原画绘制流程是怎样的呢?[/p][p=28, null, left]樋上至:绘制原画时要一边想着能让图像设计设轻松上色一边绘制原画,像是这个部分分开比较好,这个线条要紧密一些方便上色,我是活用自己在做图像设计师时的经验来绘制原画。[/p][p=28, null, left]——那这之后您是何时成为角色设计的?[/p][p=28, null, left]樋上至:进入 NEXTON 后很快就成为了角色人设,好像突然有人说「画一部作品出来」,团队中大家各有各的分工,其中的一部作品就交由我来做人设[/p][p=28, null, left]——作为人设,是以自己的审美感来决定胜负,设计面孔、发型、服饰是不是很辛苦?[/p][p=28, null, left]樋上至:我是经常被骂啦[/p][p=28, null, left]——一开始有「即便被骂我也要这么做!」的感觉吗?[/p][p=28, null, left]樋上至:在网上总会有人严厉批评,例如「这画差的没谁了」这样的批评。在绘制服装时我会参考很多的书籍,还会和编剧讨论设计什么样的衣服比较好,设计角色发型也是要看大量的杂志还要研究,总之就是经常看各种参考资料进行研究,现在我也觉得必须要多多参考各种情报,可以让自己的画作渐渐吸收这些知识,也许会和自己审美观有所联系,为了不被时代所抛弃必须要努力.[/p][p=28, null, center]0,40http://ww3.sinaimg.cn/large/d63ab74bgw1f80i4f0z9jj20dw0afq4r.jpg[/img][/p][p=28, null, left]——当时被玩家在网上骂的时候会不会有像哭湿枕头这样的事?[/p][p=28, null, left]樋上至:确实哭的很惨,很痛苦,虽然很辛苦但这是我自己想要做的事情,无论如何为了得到认可也必须要努力,游戏的剧本和音乐评价都很高,自己抱着「不能拖人家的后腿,不要再让自己的画作评价下降」的心情拼命的画图,例如在 《Kanon》中被玩家说不行的地方,在《AIR》的角色身上就进行了稍微的修改。[/p][p=28, null, center]0,40http://ww1.sinaimg.cn/large/d63ab74bgw1f80i512s4vj20dw0afwgc.jpg[/img][/p][p=28, null, left]——也就是说其实并没有太收到其他创作者的影响,而是根据四周的评价来渐渐改变自己的画作,创作自己风格的作品?[/p][p=28, null, left]樋上:是这样的,总之就是要拼命的创作[/p][p=28, null, left]——但同时也有很多人的特别喜欢您那种被称为「樋上脸」的独特画风,您怎么看待这样的现象?[/p][p=28, null, left]樋上至:怎么说呢,总感觉有点不可思议,我自己是很喜欢自己创作的画作,虽然有人批评我的作品但也有人很喜欢我的作品,这个确实很不可思议啊,在众多的评论中有人说喜欢我的作品我是很高兴的,但是也想问问到底是觉得哪里好[/p][p=28, null, left]——之后一些热门游戏被动画化,您创作的画作也被用于动画角色原案,您怎么想?[/p][p=28, null, left]樋上至:游戏动画化后动画制作组会反馈回来很棒的动画画面,真的非常高兴,《Kanon》在地上波放送时大家不是都看了吗,我也和自己的亲人说我做的就是这种工作[/p][p=28, null, left]——之前没有和家人说过自己的工作吗?[/p][p=28, null, left]樋上至:因为是 18 禁游戏相关的工作所以没怎么说,父母对我靠画画为生的事情一无所知,《Kanon》动画的事还是和父母说了,不过父母并没有什么兴趣的样子,但自己画的 Little Burster 做封面的电击G’s magazine杂志老家放了一本,现在还在老家摆着,想到这事还是有点高兴的。[/p][p=28, null, left]——被动画化后自己有没有受到动画画面的影响?[/p][p=28, null, left]樋上至:因为是动画制作者绘制所以画面比较平衡,自己画不出的地方动画画面能画出来,我也会参考动画画面进行创作。[/p][p=28, null, left]——游戏畅销被改成动画再被改成剧场版,当作品迎来了生命周期的高峰时,作为游戏制作者的真实感受是怎样的?[/p][p=28, null, left]樋上至:其实我就是一直在画画,游戏 Master up 后就要忙着绘制特典图、宣传图,因为要忙着一直画着各种各样的图我也不怎么在意 Master up,在想着这部游戏终于大功告成时就要马上进入下一步游戏的制作当中。[/p][p=28, null, left]——这样的话会参加动画的庆功会吗?[/p][p=28, null, left]樋上至:完全没参加过,游戏的庆功会倒是参加,但动画的庆功会没让我去,游戏的庆功会好像每次都是去吃烤肉[/p][p=28, null, left]——那么有没有想过从事这份工作真是太好了?[/p][p=28, null, left]樋上至:在和藤岛康介对谈的时候真的有做这份工作真好的感觉,我一直看藤岛康介老师的漫画,没想到竟然能有机会对谈十分感动[/p][p=28, null, left]还有就是原本没有声音的 PC 游戏移植到主机平台时增加了声优配音,第一次参加游戏录音活动是在 AIR 时绿川光来到大阪为游戏配音,那是我第一次参观声优的工作,当时自己一惊一乍的「好棒的声音啊!太棒了!」[/p][p=28, null, left]——作为对自己作品的评价,发来的工作数量会让自己充满自信吗[/p][p=28, null, left]樋上至:或许是这样吧,要是有大量的工作委托自己的心会变得十分平静[/p][p=28, null, left]——作为画师您自己有对绘画充满自信也能被玩家所接受的画作吗?[/p][p=28, null, left]樋上至:虽说能被理解又可以说无法被理解,总感觉自己经常是在学习中,每次的游戏作品中姑且都有自己对画作的研究,迄今为止也被骂了很多次「不需要你」,因此我抱着「即使是一个人也好也想让更多的人喜欢上自己的画作」的目标,所以总是以「容易被大家接受」作为目标作画,但如果这么做又会被人说没有个性,所以每次都烦恼到底要怎么做才好。[/p][p=28, null, center]0,40http://ww4.sinaimg.cn/large/d63ab74bgw1f80i6u6uwij20dw07tmxy.jpg[/img][/p][p=28, null, left]——目前为止最喜欢的画作是?[/p][p=28, null, left]樋上至:现在回想起来,我最喜欢的是自己在《Harmonia》中画的图[/p][p=28, null, left]——喜欢什么地方? [/p][p=28, null, left]樋上至:虽然眼睛的笔触有着相当的改变,不过还是喜欢这张脸啊,这张脸是自己画的最好的,但我觉得还有进一步需要研究的地方,所以还差得远呢[/p][p=28, null, left]——今后想要画什么样的作品?[/p][p=28, null, left]樋上至:这 20 年的时间净是画学园题材的作品了,我一直想画奇幻等题材的作品,这么多年也净是画校服了,也想画画铠甲之类的啊[/p][p=28, null, left]——您要退社独立的原委是?[/p][p=28, null, left]樋上至:在公司制作游戏时,无法表现自己的画作,在游戏发售几个月前就要忙着各种经营事宜,尤其是 Key 社的游戏开发时间比较长,在这期间自己画不出图一直有「会被遗忘」的危机感。所以在一部游戏完成制作进入下一部游戏制作的期间我想要扩大自己的活动范围,我也提了很多次辞职的意愿,但一直都被公司挽留,这次我是无论公司说什么都辞职了。[/p][p=28, null, left]——辞职后首先想要做什么?[/p][p=28, null, left]樋上至:我觉得动画对我来说十分有价值,我自己参与制作的游戏就有被动画化的,目前为止还没做过一部原创动画,后来公司做了原创动画比我后进公司的原画师反而比我早的实现了原创动画出道,现在想起来十分的懊悔。「我的梦想被那个人先实现了」,但是在公司这个工作怎么也轮不到我。我的目标就是为原创动画设计角色,让角色动起来对自己是极具魅力的工作。[/p][p=28, null, center]0,40http://ww3.sinaimg.cn/large/d63ab74bgw1f80i3kyqd2j20dw0dkq3s.jpg[/img][/p][p=28, null, left]这之后还想做恐怖作品,就是想要做那种看了一次再也不敢看第二次的恐怖作品。还有就是画《新哥斯拉》的同人本还有四格漫画。[/p][p=28, null, left]——都是不错的想法![/p][p=28, null, left]樋上至:其实我现在正在将自己 10 年来的同人志原稿集结成册做成总集篇,有很多作品而且我最新的作品,结果总集本相当的厚,作为同人志,制作完成、售光后就再也不会再贩了。[/p][p=28, null, center]0,40http://ww2.sinaimg.cn/large/d63ab74bgw1f80i3z5yajj209t0dv3z8.jpg[/img][/p][p=28, null, left]之前麻枝准因为心脏问题住了半年的院,而且现在麻枝准的身体问题并没有彻底解决,恐怕是要长期带病。而今天樋妈直接宣布退社让 Key 社又站在了风口浪尖上,但其实樋妈退社也并不是没有征兆,樋妈已经很多次的吐槽自己在 Key 社被边缘化,没有什么工作觉得很没劲,如今退社独立对于樋妈这样级别的创作者来说也许是好事能让自己的事业焕发第二春。在访谈中总觉得樋妈的形象和 New Game 中的青叶重叠在一起了。[/p]

本文链接:http://www.acgdoge.net/archives/11312, 转载请注明出处[/fold]

 

 

樋上いたるさんがビジュアルアーツを退社! なぜ独立の道を選んだのか…独占インタビュー!

人気絵師・樋上いたる先生が独立! フリーになる心境を独占取材!!

 

『Kanon』『AIR』『CLANNAD』など、ゲーム史に残る大ヒットを飛ばした作品のキャラクターデザイン・原画を担当してきた人気絵師・樋上いたる先生が、ビジュアルアーツを退社、フリーになるという衝撃のニュースが入ってきた!

 

はたして独立を決意するに至った経緯とは? そしてこの機会に、「いたる絵」がどのようにしてでき上がっていったのか、心無い批判をどのように受け止めていたのか等、様々な「聞いてみたかったこと」をぶつけてみたぞ!

 

これが樋上いたる先生の「今の気持ち」だ!

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樋上いたる(ひのうえ いたる)/3月1日生まれ。大阪府出身。ゲーム原画家。代表作は『Kanon』『AIR』『CLANNAD』『リトルバスターズ!』『Rewrite』ほか。最新作は『Harmonia -ハルモニア-』(近日発売予定)。Keyの立ち上げメンバーとして活動してきたが、このたびビジュアルアーツを退社し、フリーに。

 

 

●泣いて、もがいて……樋上いたる奮闘記

 

——まずは…幼少期に影響を受けた作家さんなどはいるんですか

 

樋上いたるさん(以下、樋上):小学生の頃は『ウイングマン』の桂正和さんがすごい好きでした。あと、楠桂さんのホラーが好きで、ずっと読んでいました。そうしたらだんだん絵も影響を受けてきましたね。高校に入ってからは『ウィングス』を読むようになって、その時も楠桂さんと、高河ゆんさんにハマりました。高河ゆんさんはすごい真似して描いて、自分の絵の髪の毛とかにまだ若干、癖が残っているかなと思います。

 

——楠桂さんや高河ゆんさんといえば、雑誌の投稿や同人活動で人気の作家が、次々と商業誌でデビューする新しい時代の旗手という感じでしたね。『鎧伝サムライトルーパー』の頃は、同人からプロ化という流れが本格化していた印象があります。

 

樋上:『サムライトルーパー』は、周りの友達がみんなハマって、「このキャラ描いて」って絵をいっぱい描かされたんですよ。

 

 

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——それが誰かのために絵を描いた、最初の経験?

 

樋上:そうですね。当麻と征士はよく描いてましたね。

 

——そこからさらに自分の絵ができ上がっていく上で、直接的な影響を受けた方はいるのでしょうか?

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樋上:もしかしたら、もっと元になっているのは高橋留美子さんかなって思います。高校生の頃は『らんま1/2』をやっていたので、頭身とかは高橋留美子さんの影響が大きいかもしれないですね。

 

——プロの絵描きを目指そうと思ったのは、何かきっかけがある?

 

樋上:元々はマンガ家になりたかったんですけど、どうしてもネームが描けなくて、話を考えるというのも苦手だったんですよ。専門学校の漫画家コースに入って、マンガをがんばろうと思っていたんですけど、同じコースに行っていた友達が『同級生』(エルフから発売されたPCゲーム。18禁)を教えてくれて、「あっ、こんな仕事があるんだ」と知ったんです。それからPCゲームをやるようになって、「自分はこの仕事がやりたい!」と。

 

 とにかく竹井正樹さんの絵がものすごくて。それまではドット絵のゲームをずっとやっていたので、ゲーム画面でこんなにきれいに絵が表現できるんだというのは衝撃的でした。それで「この道に行ってみたい! 原画を描きたい!」と思ったんですけど、まずはグラフィックを知ることが先かなと思って専門学校で担任の先生に相談したら、「それはゲーム科じゃないと求人が来ないし、ゲーム科の求人を奪うわけにはいかないから、自分で探してください」って言われたんです。

 

 そこで専門学校を卒業してから、まずはゲームというものを知るためにグラフィック志望でいろんなゲーム会社を受けました。そして受かったのが、TGLなんです。それまでパソコンをゲーム以外で触ったことがなかったので、山本和枝さんの下でドットの置き方とかCGを1から全部教えてもらって、グラフィックをやっていました。

 

 その後ビジュアルアーティストオフィス…今のビジュアルアーツにグラフィッカーで入ったんです。そこでもずっとドットで色を塗っていて、その後ネクストンに入ったら急に256色に変わって、パソコンもMacになったので電源の入れ方もわからなかったんです(笑)。そこで塗り方とかも勉強し直しました。

 

——その間、自分の絵を見せる機会はなかった?

 

樋上:ビジュアルアーティストオフィスの時に、「原画描きたいんですけど」っていう話はしたことあります。1回社長に見てもらって、「まだまだやな」って言われて、「そうすか〜」って感じでしたけど(笑)。

 

——原画で行けそうとなったのは、いつ頃から?

 

樋上:ネクストンには最初から原画で入ったので、原画を描かせてもらって、自分でも塗りつつと両方をやっていました。たぶんビジュアルアーティストオフィスを辞めた後に、原画を描けるところを探していたのかもしれないですね。その辺りは記憶があやふやですけど。

 

——いよいよプロの原画家ということですが、自分の絵はどのように作っていったのでしょうか?

 

樋上:グラフィックを先にやっていたので、原画を描く時は、グラフィッカーさんがどうしたら一番塗りやすいだろうというのを考えながら描いているんです。ここのパーツは分けたほうがいいとか、塗りやすいように必ず線をくっつけるとか。そういう描き方はグラフィッカー時代の経験が活かされているのかなと思いますね。

 

——作業効率から画風を作っていったのは面白いですね。その後、キャラクターデザインという話が来たのはいつ頃?

 

樋上:ネクストンに入ってすぐです。いきなり「1本描いてくれ」みたいな感じでした。チームがいろいろ分かれていて、その中の1本を任されたんです。

 

——デザインとなると、自分のセンスで勝負することになるわけですが、顔つきや髪型、ファッションまで、かなり大変だったのでは?

 

樋上:私はけっこう叩かれていたので(笑)。

 

——最初は「それでもやるしかない!」という感じ?

 

樋上:そうですね。とにかくネットではすごい叩かれて、「この絵なんかないほうがマシだ!」くらい言われていたんです。服を描く時も、いろんな本を持ってきて、どういう服がいいかシナリオさんと相談したりとか。髪型とかもいろんな雑誌を見て、研究して、というのはとにかく常にやっている感じです。今もそういう情報は常に入れておかないといけないと思っているので、絵に使えそうなものはどんどん吸収しているんですけど、それがセンスにつながっているかどうかはわからないです(笑)。引き出しがなくなるということがないように、努力はしています。

 

——当時は叩かれて、枕を濡らすようなこともありましたか?

 

樋上:いやもう泣いてました! 本当につらくて……。つらかったけど、自分のやりたいことをやっているので、とにかく認めてもらえるようにがんばらないとと思っていました。シナリオも音楽も評価が高いので、「その2人の足を引っ張らないように。自分の絵で作品の評価を下げてしまうのはイヤだ!」と思って、必死で描いていました。『Kanon』で悪いと言われているところを少し直そうと思って、『AIR』で若干頭身が上がった感じになっているんです。

 

——つまり他のクリエイターの影響はあまり受けず、周りからの評価を受けて自分でどんどん絵を変えて、自分の絵を作っていった感じ?

 

樋上:そうですね。とにかく必死でした。

 

——同時に「いたる絵」と呼ばれる独特の絵にハマる人たちもいたわけですが、そちらの印象は?

 

樋上:なんか、不思議でした(笑)。あっ、自分では自分の絵がすごい好きなんですよ。それをすごく叩かれて、でもその中で「好き」と言ってくれる人もいて、それがすごい不思議だったんです。あれだけ言われている中で「好き」と言ってくれるのは嬉しいんですけど、「どこがいいのかな?」っていう(笑)。

 

——その後、ゲームが大ヒットしてアニメ化されることになり、自分の絵がアニメ用にデザインされていくわけですが、そちらはいかがでしたか?

 

樋上:いやもう、素晴らしい絵になって帰ってきました!(笑) 本当に嬉しかったです。『Kanon』とかは地上波でやっていましたから、みんなが観れるじゃないですか。自分はこういう仕事をしていたんだというのを身内に言いまくりましたね。

 

——それまでは言っていなかった?

 

樋上:18禁だったので、あんまり……(笑)。親は、絵で食べてるということくらいしか知らなくて、一応『Kanon』のアニメのことも言ったんですけど、あんまり興味はなかったみたいです(笑)。ただ、自分が『リトルバスターズ!』で表紙を描いた『電撃G's magazine』を1冊だけ実家にそっと置いていったんですけど、いまだにそれは置いてありますね。ということは、ちょっとは喜んでくれてるのかなと思っています。

 

——アニメ化された絵に、逆に自分が影響を受けるようなことはありましたか?

 

樋上:アニメーターさんが描くからバランスとかも取れているし、自分ができないところがちゃんと形になっているので、すごい勉強になりました。アニメの絵を参考にして描くことはあります。

 

——ゲームが売れてアニメ化され、劇場版まで作られるなど作品が絶頂期を迎えていた頃、作り手側の実感はどうだった?

 

樋上:ずーっと絵を描いていました。ゲームがマスターアップしても、次は店舗特典の絵とか、販促用とか、絵描きだけは同じ絵を描き続けないといけないから、マスターアップした気になれないんですよね。それで、ようやく終わったと思ったら、すぐに次回作のキャラデザっていう感じなので。

 

——そうなると、アニメの打ち上げのような華やかな場に参加したことは?

 

樋上:まったくないです。ゲームの打ち上げはありますけど、アニメは行かせてもらえなかったんです(笑)。ゲームの打ち上げは、毎回焼肉屋さんに行って食べるくらいでした。

 

——それでは、この仕事をしていて良かったなと思ったことは?

 

樋上:藤島康介さんと対談した時は、本当にこの仕事をやっていて良かったと思いました。ずーっと作品を読んでいたので、まさか対談できるとはって感動しました。

 

 あと、当時のPCゲームには声がついていなかったんですよ。それをコンシューマに移植する時に、初めて声を入れたんですけど、『AIR』の時に緑川光さんが大阪まで来て、収録してくれたんですよ。そこで初めて声優さんの仕事を見学して、なんかもう腰が抜けて(笑)、「すごいいい声! ヤバい!」って。そのことを緑川さんのラジオ番組で話したら、「いいこと言ったね! そういうの待ってたよ」って言われました。

 

●独立に至る心境と、これから

 

——自分の絵に対する評価は、来る仕事の量がそのまま自信になっていた感じ?

 

樋上:そうかもしれないですね。仕事がいっぱい来ると、心が落ち着きます。

 

——自分の中で、絵描きとして自信を持てた作品、納得できた絵などはありますか?

 

樋上:う〜ん……。納得できているかといえば、できてない……。なんかもう、常に勉強中みたいな感じですね。毎回作品ごとに絵を研究しているんです、一応。今まで散々「いらない」って言われてきたから、「ひとりでも多くの人に、自分の絵を好きになってもらいたい」という目標があるので、常に「受け入れやすい」というのを目指してきたんです。でもそれをやると「個性がなくなる」と言われて、そこがどうしたものやらと毎回悩むところではあります。

 

——これまでで一番気に入っている絵とは?

 

樋上:いま振り返ると、『Harmonia -ハルモニア-』の絵が一番好きなんです。

 

——どこがお気に入りなんですか?

 

樋上:目のタッチはかなり変えていると思いますけど、やっぱり顔ですね。自分ではこの顔が一番なんですよ。でも、もっともっと研究するところはあると思うので、まだまだです。

 

——今後はどんな絵を描きたい?

 

樋上:学園モノばっかり20年間も描いてきたので、ファンタジーとかをずっと描きたいなと思っていたんですよ。制服ばっかりデザインしていたので、鎧とかも描いてみたいし。

 

——独立しようと思ったのは、どんな経緯から?

樋上:会社でゲームの作業をしている期間は、自分の絵が表に出ることはないんですよ。発売数ヶ月前から営業がかかって、そこから出るんですけど、Keyは特に開発期間が長いので、その間自分の絵が出ないと「忘れられちゃう」っていう危機感がずっとあったんです。

 

 だから、次回作の区切りで外に出て、もうちょっと活動範囲を広げてみたいなという気持ちがあって、何回か退職願は出しているんですよ。もちろんいつも引き止められるんですけど、今回は「何を言われようが辞めます」と言いました。

 

——まずは何をやりたいですか?

 

樋上:アニメというものに自分はすごい価値を持っているんですけど、自分が関わったのはゲーム原作があってのアニメ化なんですよ。オリジナルアニメというのを今までやったことがないんです。その後会社ではオリジナルアニメをやったんですけど、後から入ってきた原画の人が先にオリジナルでアニメデビューをしちゃったわけですよ。それがすごく悔しくって……。

 

「私の夢を、あの人が先に叶えてしまった」と思って……。でもそれは会社にいると、自分にはなかなか回ってこない仕事なんですよね。目指しているのは、オリジナルで、アニメのためのキャラクターを作って、それが動くというのが自分にとってはすごい魅力的な仕事なんです。

 

 それから、ホラーとかも作りたいんですよ。とにかく後ろを振り返れないくらいの怖さのホラーを作りたいっていうのは前から言っていたんです。演出とかにもばんばん口出して、すっごい怖いのを作ってみたい。(笑)

 

 あとは『シン・ゴジラ』の同人誌を作りたいな、とか(笑)。四コマで描きたいんですよ(笑)。

 

 

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——いいと思います!

 

樋上:それと実は、10年分の同人誌の原稿を集めた総集編を作っています。描き下ろし多めで、最新のイラストも入れて、けっこう厚みがでそうです。同人誌って、作って完売したらそれで終わって、再販もしてこなかったんですよ。

 

——それから、アニメイトタイムズでも何か企画をやるらしいですね!?

 

樋上:ですね(笑)。お仕事募集のページがあるのでそちらもぜひ見て下さい。あと、いつかアニメイトさんで、グッズを並べてほしいです。

 

——これからの活動を楽しみにしているファンに、最後にメッセージをお願いします。

 

樋上:これからは、いろんなことに挑戦できるような状況になっているので、もっともっと活動の幅を広げて、もっともっとみなさんの身近に触れられるよう、いっぱい仕事をしたいです。よろしくお願いしますいたる。

 

——語尾キャラ!?

 

 

 

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お忙しい中、インタビューさせていただきありがとうございました。今後の樋上いたる先生の動きにご期待下さい! そしてアニメイトタイムズでは樋上いたる先生とコラボが決定! 描き下ろしオリジナルキャラクターの名前や性格を募集キャンペーンを実施!抽選で1名さまにサイン色紙をプレゼント! 詳細は 特設ページをご覧ください!

 

话说谁还记得那个跳票的新作

 

 

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